TV.実践女子学園
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メディア学の視点
- ピーターパンが語る私たちの社会像 -(1)
(収録 2007年)
Part2(後編)をみる
講師:犬塚 潤一郎(実践女子大学 生活科学部 生活文化学科 教授)
1.メディア学のフレームワーク
それぞれの媒介(メディア)の持っている技術的特性を明らかにしながら、どのように我々にとって「意味」が構成されていくのかを探究。
「野に咲く花、流れゆく泡沫」
意味作用 聖書の言葉、芭蕉の俳句、方丈記
表徴作用 神話作用
それを担うもの(技術的側面)
シンボルは、個人の文化的背景と深く結び付き、社会と関わっている。
メディア学は3つの学問領域を複合して捉える。
・メディア 特にメディアの技術的差異、表現の形態
・文化 哲学、思想、記号、意味作用、認識の研究
・社会 制度や組織がメディア的構造へと変化してきていることを考察
2.ピーターパンの「物語」
ごく初期の段階でのピーターパン
ディズニーのピーターパン(1953年作品)
オリジナルのピーターパン像:「ケンジントン公園のピーターパン」(1906年)
ジェームス・マシュー・バリーの作品
「小さな白い鳥」第14章「ピーターパン」(1902年)が初出典
美しい挿絵が多数掲載されている。アーサー・ラッカムという人気挿絵画家による。
よく知られるピーターパン像:「ピーターパンとウェンディ」(1911年)
当初、演劇のための台本として書かれ、最終的に書籍化されたもの。
現代でも人気ミュージカルとして、また映画「Finding Neverland」(2004年)としても作品化されている。
挿絵は画家ベッドフォードによる。ディズニーの作品のベースとなっている。
エピソードとして、10年後ルーシー・アトウェルによる挿絵で改訂版が出されている。
3.ピーターパンの我々にとっての意味、その面白さの考察
ピーターパンは子供の象徴である。では、誰が子供なのか?
アンシャン・レジュームの時代に「子供」はどういう存在、どう扱われていたのか?
大人と同じプロポーション、小さい人として描かれている。
体力、知的に劣っている、すべての面で劣っている「人」
近代化とともに生まれる子供
学校化というシステム。家庭、労働という社会から隔離され「子供」が守られた。
「子供のために純礼な読み物」「現代一流の芸術家による運動」
北原白秋、島崎藤村、芥川龍之介等の一流の作家達
小さな「人」という子供像を生んでゆく芸術運動。
メディア学の視点
- ピーターパンが語る私たちの社会像 -(2)
(収録 2007年)
4.ピーターパンとウェンディに読む「子供」
死と隣り合わせ、死を楽しむ冒険がはじまる。
ネバーランドへ妖精の粉を利用して飛んで行く。 寝てしまうと墜落し死んでしまう危険。
「人間の命を救うというより、自分がうまくやることを楽しんでいる」
一方、ウェンディは母親役で、大人の視点を持っている。
物語での殺人を主に担うのは、フック船長
フックと闘う、ピーターパンに感じるものはただ1つ「それは喜び」でした。
これは、テレビゲームの「殺戮ゲーム」と同じものなのか?
5.子供の条件「不正と忘却、死の無理解」
死の意味が大人社会とは異なっている。
「自分が受けた卑怯な仕打ちを忘れる子供は1人もいません。ただ、ピーターパンだけが例外です」
永遠の子供であるために、それを忘れてしまう。
ピーターパンは「勇気」を持っているのではなくて(大人的な勇者ではなく)、根本的に死を理解していない。
大人社会における殺人と罪の関係には存在していない。
6.子供の条件「永遠の今」
子どもであり続けることを実現しているのは忘却すること。親友のティンカーベルさえも覚えていない。
過去を持たない、永遠の今を生きること → 子供
そこには、未来への想像力も、自由の概念も欠如している
7.複数の主体を統合
大人になったウェンディと見つめあう娘。それは、子供時代の自分が現代の自分と向き合うという、一人の人間の中の複数の時間性、複数の主体構造を表しているのではないだろうか。
現代社会は、死ぬということの意味を自分のものとする(=大人の)社会なのか?
生命が物理現象と理解されている社会では、生と死の意味をいかに理解するのか?
ピーターパンは、この社会を生きる私たちにとって、「人間とはなにか」を問い直す契機となる。
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